一定期間更新がないため広告を表示しています
2009.01.31 Saturday
公文式の主張
「小学生に微積分まで」 1959年の文章です。昨年50周年ということですから、本当に始まったばかりのころですね。高校の数学の先生をされていた公文さんが自分の子供(さらに4年前で小学2年生)の算数の成績が悪かったのでなんとかしようと取り組んだのがはじまりのようです。 いろいろな計算ドリルを参考にプリントを作り、子供に自習させ、夜に自分が添削するというを繰り返した。それが今の公文式の原型というわけです。授業するよりも自分で問題を解くほうがいいのではないか?という気づきは、公文式にとって重要なことでしょう。 タイトルの微積分ですが、高校生でも単純にやり方だけを覚えるのに終始するのが現実かもしれません。まして小学生となればやり方だけを覚えるのが関の山でしょう。意味も分からずやり方だけ覚えて意味があるのか? 小学生の時に一度やり方だけ刷り込んでおけば、高校生になったとき何となく解ける状態になっていることでしょう(うまくいけば)。そこでゆとりが生まれる。ゆっくり微積分の意味を覚えればいい。 公文式の考え方のポイントのひとつでしょう。 「まず算数一科目に自信を」 これは1960年の文章。まず得意科目を作れ!という戦略は当時としては特異だったかもしれません。計算力をつけるのが大事だ!ということも。 ストップウォッチで時間を計って計算問題のプリントをどんどん解かせるというやり方が注目されたのも数年前だったと思います。40年も前の話ではない。 最近は脳力とか言って、大人が簡単な計算問題を次々解くのも流行っています。ボケ防止に公文式をやろうかと真剣に考えております。 《つづく》 2009.01.30 Friday
密教概論
自分が尊敬する人物像というのは昔の日本人の中にありまして、何か漠然としたイメージを目標とし、標語のようなもの作って毎日唱えようと思い立ちました。それって毎日お経をあげる昔の年寄りに似ているなあということになりまして、だったら自分が好きなお経を見つけてそれを読経すればいいな、ということになりました。 それで、最初に取り掛かったのが般若心経。「空」の概念は正確に説明することはできませんが、好きな考え方です。般若心経を暗記している頃に、ある方のブログを拝見していて、自分が求めているものは真言宗と多く重なるようだと感じました。 私の家は浄土宗なのですが、「南無阿弥陀仏」ととにかく唱えなさいという教えです。法然上人の言葉の中には、小難しい勉強なんかしなくていいというニュアンスが含まれていて、物足りなさを感じていました。現世を諦めているような気がする。 日蓮宗系の方にもご縁がありまして、身延山に行ったこともあります。法華経の現代語訳も簡単なものを読み、感想はこのブログにも書いています。でも、自分が求めていることは法華経には書いてありません。 禅にも興味がありまして、禅寺で座禅したこともあります。禅問答の本なんかも読んでみたいと思っていたのですが、「禅問答はただ消耗するだけだ」みたいなことを養老孟司さんが書いているのを読み、手が出なくなってしまいました。 さて、今度は密教概論です。ちゃんと理解するまでには何度も読み返さなければいけないようですが、まず一度読んでみなければ話になりませんので、挑戦してみます。 《つづく》 2009.01.28 Wednesday
ダライ・ラマ科学への旅
科学に興味を持ち始めたダライ・ラマに、あるアメリカ人女性がした忠告は私も面白いと思いました。「科学が宗教を殺す」ということ。神は死んだそうですが、殺したのは科学なのかな…と私も思っています。 ただ、だからと言って科学に近づくのを恐れてはいけないと思います。科学をこれ以上野放し状態にしておくことは全人類にとっても危機です。「科学は人類をも殺す」だろうから。ダライ・ラマの勇気をたたえたいです。 私見ですが、科学とは客観性(あるいは再現性)のある事象から帰納的に真理を探究していくもの。宗教とは、人を幸せにする真理を示すもの(あるいは探究すべきもの)。そして真理とは絶対普遍のものなどあり得なくて、時代とともにあるいは人とともに相対的にあるものです。昔と現代で違うし、科学者と宗教者でも違う。だからこそ、歴史を振り返り、いろいろな分野の人と影響を及ぼしあいながら、永遠に追及し続けなければいけない。 さてさて、先が楽しみです。 2009.01.18 Sunday
法華経大全
JUGEMテーマ:読書
聖書は少しだけ読んだことはあっても、一応は仏教徒でありながら、お経を意味を解しながら読んだことが全然無いのはいけないと思い、読むことにしました。 うちは浄土宗なのですが、まずは法華経を読んでみようと思いました。尊敬する聖徳太子や宮沢賢治が愛読していたらしいし、聖徳太子ということであれば日本仏教の原点となるだろうと思ったからです。 28の章に分かれておりますが、10%で第2章まで進みました。初心者向けに掻い摘んである本なので大変読みやすいです。神々や精霊や妖精や妖怪が登場するような幻想的なお話を読んでいる感じで、男の子向けのアニメの原作をよんでいるような錯覚さえ覚えます。 第1章に相当するのが、序品第一です。霊鷲山にたくさんの高僧と共にお釈迦様が住んでおりましたとさ、という感じのお話です。ここで、文殊菩薩に弥勒菩薩がいろいろ質問しています。この質疑応答でそれぞれの過去世にも触れています。 輪廻転生は仏教の重要な要素のひとつだと思いますが、これは釈迦オリジナルではなくて古代インドで信じられていたことのようです。 第2章に相当するのが、方便品第二です。般若心経にも出てくる高弟のシャーリプトラに乞われて、釈迦が話を始めます。ただ、誤解を恐れてなかなかお話をしません。勿体ぶっている様でもありますが、非常に謙虚な人柄が伺えます。と同時に、誤解がないように細心の注意を払わなければならない、まして押し付けがましい布教などもってのほかなのだ、という教えのようでもあります。 「方便」とは「さとりに近づくための手段」という意味で、現代の意味とは少し違います。ほかに気づいたのが「我慢」。「自分にこだわること。うぬぼれること。」だから我慢するのは良くないことになります。それから「無分別」。「通常の判断を超えること」なので、良いことになります。 |
amazonサーチボックス
amazonおまかせリンク
Google AdSense
検索向けAdSense
ツイッター
MOBILE
RECOMMEND
SPONSORED LINKS
OTHERS
|