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タグふれんず

トトガ御用達

我が家でお気に入りの商品・お店などを紹介します。
ブッダの脳 心と脳を変え人生を変える実践的瞑想の科学
評価:
リック・ハンソン,リチャード・メンディウス
草思社
¥ 1,944
(2011-11-22)
Amazonランキング: 21899位

JUGEMテーマ:読書

関連記事は、随時トラックバックに加えていきます。
| 仏教 | 10:34 | comments(0) | trackbacks(3) |
空海とヨガ密教
評価:
小林 良彰
学習研究社
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Amazonランキング: 50994位

JUGEMテーマ:趣味
| 仏教 | 15:30 | comments(0) | trackbacks(4) |
空海コレクション 1 (秘蔵宝鑰・弁顕密二教論)
JUGEMテーマ:読書
| 仏教 | 17:46 | comments(0) | trackbacks(7) |
仏教と現代物理学―一休の〈般若心経〉を読む
仏教と現代物理学

 JUGEMテーマ:読書

可藤さんの著作は、タイトルの内容を縦糸にしながらも、話の展開の中で必要な引用を横糸の如く織り交ぜていく独特の手法で書かれています。この本の場合、縦糸は『般若心経』と一休宗純の『般若心経提唱』です。『般若心経』の一節を一文ずつ引用し、それに対応する『般若心経提唱』の解説文を引用し、そして可藤さんが解説を加える…という構成をくり返しながら、『般若心経』を最初から最後まで見つめていきます。

可藤さんが加える横糸は、仏教はもちろんのこと、哲学、キリスト教、イスラーム神秘主義、ヒンドゥー教、道教、等々の大家の文章を引用しながら、織り込まれていきます。さらに、本書では、シュレーディンガー、ハイゼンベルグ、ファインマン、ペンローズ、ホーキングなど、現代物理学からの引用も多いのが特長です。

『般若心経』は、「五蘊皆空」と照見すれば一切の苦厄から救われるという極めてシンプルな書き出しで始まっています。また、可藤さんが数々の著作で述べてこられた神秘主義の宇宙観も、煎じつめればいくつかの言葉や文章に凝縮できそうなシンプルなものだと私は感じています。しかしながら難しいのは、このシンプルなはずの「五蘊皆空」の宇宙観・神秘主義の宇宙観を、多忙な日常生活の中でも忘れずに心の中に持ち続けることなのです。そのためには、様々な分野からの引用でもって、いろいろな方向から説明を尽くす可藤さんの文章に触れ続けることが一番いいと思います。

著者自身が最後の一書と決めた本書は、誰もが知っている般若心経を入り口にして、深遠な悟りの世界に導いてくれる最良の書と言えます。
| 仏教 | 20:23 | comments(0) | trackbacks(20) |
神秘主義の人間学
 JUGEMテーマ:読書

キルケゴール、アウグスチヌス、エックハルトなど、12人の人についてまとめられています。これまで『瞑想の心理学』『自己認識への道』を読んできましたが、これらの本に多く引用されている人たちです。

言わんとしていることは同じなのかもしれませんが、それぞれの人物という違った方向から光を当てることによって、また見えてくるものが違ってくるかもしれません。

「はじめに」は、「いつの頃からか、誰に教えられるともなく、瞑想のひとであった私は…」という書き出しで始まり、著者自身の人物像にも光が当てられています。

書かれたのはこの本の方が古く、順序が逆になりましたが、今まで読んだことを確認しながら、新しい発見もあろうかと思います。

《以下引用》
さて、ここに取り上げた宗教的思想家は、それぞれの時代、文化、宗教の違いがあり、このような取り上げ方にご異存があるかもしれないが、どれも、何もすることがない、また何もする必要のない我が魂のすさびに認められた、言わずもがなの繰り言に過ぎない。それでは私は何を試みようとしたのかと言うと、ここかしこに点在する珠玉から一握りを掻き集め、それに私という一本の糸を通すことによって、ひとつのネックレスに仕立てあげ、そこに通底する宗教的要請、つまり、現代が逢着する問題の所在と原因(それはいつの時代も変わらないのだが)を詳らかにし、かつ自由への道を明らかにしたうえは、われわれ自身がその道を辿るのでない限り、決して真理は開示されては来ないという、ただ、それだけのことを言わんがためであった。
《引用終わり》

楽しみです。

| 仏教 | 18:05 | comments(0) | trackbacks(81) |
自己認識への道――禅とキリスト教
評価:
可藤 豊文
法蔵館
¥ 2,730
Amazonランキング: 796715位

 「プロローグ」を読みました。

デルポイの神殿に掲げられた「汝、自らを知れ」が、この本のテーマです。同著者による「瞑想の心理学」では大乗起信論から、その問いへアプローチしていました

この本では、「廓庵の十牛図」と「トマスの福音書」を手掛かりとして、つまり禅とキリスト教の立場から、この問いにアプローチしていくようです。

《以下引用》
…宗教は、ともすれば絶対者(神、仏)の信仰であるかのごとく思われてきた。確かに宗教が信仰で始まるという側面を持っていることは否めない事実であるが、アウグスチヌスも「信仰で始まり、見ることによって完成する」と言ったように、本来宗教は如何にして真理に目覚めるかということを主眼としている。

しかし、何が今のわれわれをして直ちに真理を目睹することを許さないのであろうか。それは真理を求めているわれわれ自身の無知(仏教はそれを「無明」と言う)に原因がある。もちろん、自己を知らなくとも、学問がそうであるように、真理の探求ということはあり得る。しかし、それは宗教がいう真理(真の知識)ではない。後者の場合、その無知ゆえに真理は見えていないという性質のものであり、自らの足元を照らす灯明が消えているために、本当に求むべきものの見分けもつかないまま、手探りで闇の中を探しているようなものなのだ。…
《引用終わり》

学問的な探求、特に科学的な探求がわれわれの中に浸透していくにつれて、宗教的なそれは排除されていったような気がします。それが現代の書物の内容が薄っぺらな感じがする原因だと、私は思っています。「私とは誰か」というような、素朴にして究極的な探求を忌み嫌い、「宗教」と聞いただけで毛嫌いしているが故に、かえって妖しげな新興宗教に対して鼻が利かず、装った仮面を見抜くことができなくなっているということはないでしょうか。

そんな仮面を見破り、巧みな布教を論破するためにも、素朴にして究極的な思索は必要だとは思いますが、それが第一目的ではもちろんありません。

私たちは、毎日、とっても忙しいです。愛する家族の顔をよくみる暇もないほどに忙しく働いている方々はたくさんいると思います。どうして、こんなに忙しくする必要があるのか。素朴にして究極的な疑問を避けて、私たちは、いつまで頑張れるのでしょうか?


ひとつ嘘をつくと、嘘の上塗りを繰り返さなければならなくなるように、ひとつの本質から目を背けているが故に、いくつもの本質に目をつぶらざるを得ない状況に追い込まれているような気がします。

ここは逃げないで、「自分」という問題に取り組んでみましょう。

| 仏教 | 10:20 | comments(0) | trackbacks(42) |
意識と本質ー精神的東洋を索めて
JUGEMテーマ:読書

「意識と本質 1」を読みました。

《以下引用》
…だが、このように「本質」が終始一貫して無であり、ないものであるとすれば、結局この現実の世界には本当の意味であるといえるものは何一つなくなってしまうわけで、もしそれでも経験的事実として事物は存在しているというなら、その存在は妄想の所産であり、世界は夢まぼろしのごときものであるということになるのだろうか。事実、通俗的仏教ではそんなことを言う。経典もさかんに現世の儚さを説く。しかし哲学としての仏教はそう簡単にはそのような結論に行くことはしない。なぜなら、大乗仏教の形而上的体験における空には、「真空妙有」という表現によって指示される有的局面があるからだ。「本質」が実在しなくとも、「本質」という存在凝固点がなくとも、われわれの生きている現実世界には、またそれなりの実在性がある。「本質」はないのに、事物はあるのだ。「本質」の実在性を徹頭徹尾否定しながら、しかも経験的世界についてはいわゆるニヒリズムではなく、分節された「存在」に、夢とか幻とかいうことでは割りきれない、実在性を認めるのは、東洋哲学全体の中で、所々に、いろいろな形で現れてくるきわめて特徴的な思惟傾向だが、この東洋的思惟パタンを、大乗仏教において、特に顕著な姿で我々は見出す。

「本質」ぬきの分節世界の成立を正当化するためにこそ、仏教は縁起を説くのだ。だが縁起の理論は、理論的にはいかに精緻を極めたものであっても、実践的にはなんとなくもの足りないところがなくはない。この現実の世界でわれわれが実際に交渉する事物には、縁起の理論だけでは説明しきれないような手ごたえがあるからだ。大乗仏教の数ある流派の中で、この問題に真正面から、実践的に取り組もうとしたのが禅である、と私は思う。
《引用終わり》

この章で、大乗仏教の「本質?」をかなり言い当てているような気がします。「意識の形而上学」にも同様のことがありました。この仏教的視点に触発されて、以前に私が書いた拙いものもありまして、これ以上深い考え方は無いだろうと思っておりましたが、同じく経験界における「本質」の虚妄性を認めるところから出発しながら、不二一元論ヴェーダーンタは大乗仏教とは正反対のテーゼに到達しているそうです。

また、「本質」の実在性を全面的に肯定する強力な思想潮流も東洋哲学の中にはあるそうです。これを、これから見ていくようです。

「禅における言語的意味の問題」「対話と非対話―禅問答についての一考察」という二つの論文が後にありますので、禅に関する興味深い考察はここでなされることと思います。


| 仏教 | 17:35 | comments(0) | trackbacks(3) |
瞑想の心理学
JUGEMテーマ:読書

「プロローグ」を読みました。

生の由来と死の所去…絶対に解決できないであろう疑問です。それが、この本のテーマです。それは生きる意味にもつながります。

《以下引用》
…生の由来も知らなければ、死の去り行くところをも知らない大人たちが、遅れてくる者に、人の命は尊いなどと言ってみたところで、どれだけ説得力があるというのか。しかも、その答えたるや、一度たりとも生の意味など問うたことがない者と同じだというのだからなおさらである。

我を生ずる父母も生の由来を知らず。生を受くる我が身もまた、死の所去を悟らず。過去を顧みれば、冥冥としてその首を見ず。未来に臨めば、漠漠としてその尾を尋ねず。(空海『秘蔵宝鑰』)
《引用終わり》

筆者は大学で物理化学について勉強され、その後で仏教の勉強を(これも大学で)された方です。プランクやパスカルという科学者の言葉も引用されていて、私にとって非常に興味があります。

このテーマは、無記だと思いますから、科学はもちろんのこと仏教を用いても解けない問題であろうと思います。

そして、この本の中にも答えは無いだろうと思うのですが、それだからこそその思索の過程は興味深いものです。

一年くらいかけて、チビリチビリ、じっくり読んでいくことにしました。


| 仏教 | 15:03 | comments(0) | trackbacks(54) |
三教指帰
 JUGEMテーマ:読書

第一章「亀毛先生の主張」を読みました。

青年空海が、自分は仏教を目指します!という決意表明の書です。手がつけられない非行少年の蛭牙公子を儒教・道教・仏教の三方向から説得を試みるという筋書き。

三章構成で、第一章は儒教編。水が低い所を目指して流れるように、人間も自然に快楽の方に流れるもの。でも、それではケダモノと一緒。善い方向を目指さなければなりません。人は磨けば必ず光るもの。あなたも才能を磨けば、栄達の人生も夢ではありません。…といった内容。

阿刀大足からなされたであろう説教も、大筋はこんな感じだったのでしょう。

私が子供の頃、年配の人から聞く説教もこんな感じだったように思います。千数百年もの間、最も多かったであろう説教のテンプレートがここにあるような気がします。

| 仏教 | 09:28 | comments(0) | trackbacks(4) |
世親論集
評価:
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中央公論新社
¥ 2,100
Amazonランキング: 98357位
Amazonおすすめ度:
阿頼耶識

JUGEMテーマ:読書
 
「唯識入門」参照
| 仏教 | 21:19 | comments(0) | trackbacks(2) |
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